しょほうむが.なかなかわからない.わかったつもりになっても,分からない.「空」とか「無」とか,頭でわかったつもりになった瞬間,違うものになるらしい.一生わからないだろう.自分はいろいろな人や事象と関係しあいながら存在している.だから,その関係が一寸でも違えば,今の自分ではない.つまり,自分とは存在するようで,実は,幻のようにたまたまの因と縁によって存在しているように見えるのであり,永遠なる存在でもなければ,自分という存在は,周りの因や縁の結果でしかない.ということであろうか.そんな簡単に分かったら,苦労しない.ただ,自分がやりたいことは,他の人もやりたいことであり,自分の思いがうまく達成できるわけがない.何故なら,他の人も似たようを考えているから.だから,自分が思うようにいくはずがない.その結果,一切皆苦(一切行苦)となる.
歳をとって今,少しわかってきたような気がする.若い時にこんな考え方が出来たら,別の人生を歩んでいたかもしれない.「執着」してはいけない,「差別」してはいけない.五感で感じても,その内容に「執着」したり,「好き・嫌い」の感情を持ってはいけない.何事も淡々と.今を生きる.
だそうだ.少しは,そんなものかなと思えるようになってきたが,生老病死に対する不安は大きくなり,愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦を断ち切ることはできそうもない.まさに,「無明」である.頭で考えてもしょうがないので,ただ,余計なことを考えず,今を生きるとよいらしい.