24時間以上,心電図をモニターした.最近の装置は,SDカードへのデータ記録で,ずいぶん小さくなったような気がする.20年ぐらい前にやった時は,メモリースティックで,電池を含めて,案外重かったのを覚えている.さて,結果を聞きに主治医にあうと,「ホルターの結果ですが,11万〇#$&回の心臓拍動で,7回の不整脈を検出しました.大丈夫ですよ.」とニコニコされて報告を受けた.まず,11万何とかは,きっと,ホルター装着24時間以上だったので,その間の脈の回数だろう.そのうち,7回不整脈?.え,不整脈があるんだ.「え,不整脈あるんですね」.医師曰く「少ないですよ.」と言われれば,「そんなものか」と,納得せざるを得ない.とりあえず,ほっとする.
自分の心臓が動いている映像を心エコーで見たことがある.どうしても機械のように外壁(ケース)がしっかりした装置が,とくとくとロータリーポンプのように脈を刻んでいるイメージを持っていたが,とんでもない,拳のような小さな臓器が全体を震わせながら脈を刻んでいる.また,心臓の弁などの動きは,妻に言わせると「蝶々が羽ばたいているようだ」と言っていた.一生懸命動いてくれているのだと,感動する.サイバネティックスで有名なウイナーの人間機械論的な見方をしてしまうが,とんでもない.生身の生物の動きや制御は神々しい.
ポンプなどの機械の動作は短期的に見れば,おおむね安定な一定動作をすることができるのに,なぜ,人間の心臓は,正確に同じ動作をしないのか?機械システムで考えると電流や電圧が毎回異なり,それを伝搬する電気的特性も時変的に変化すると考えられる.なぜ,人間のセンサやアクチュエータのパラメーターが時変的に変化するのか?逆に機械システムのパラメータはなぜ変化しないのか?それは,電源やポンプ,電線などが独立して存在しているからだと思う.相互に関係が薄い.しかし,人間のそうした機能は,パラメータが相互に関係しあい,常に同じ条件になることはまれであると考えられる.実は,これ,諸法無我のたとえ.様々な要素が関係しあっており,それ一つを独立したものとみることができないのだと思う.まさに,心臓レベルで考えても,相互にシステムが関係しあっているので,精密な同じ動作をしないと考えられる.こんな見方で,自分の心臓の日常のひたむきな活躍を理解するのは,いかがなものか.ただ,感謝である.