定年前は,いろいろ忙しい毎日でした.業務や会議の時間が決まっているので,やはり,その予定に合わせて生活をしていました.定年して,そうしたしがらみがなくなったとき,どうなるのか自分でも心配でした.定年後,少し違う風景が見えてきました.
いま,毎日,写経をしています.写経といっても「なぞり写経」で,筆ペンで書いていくお恥ずかしい「写経まねごと」です.毎日1枚,般若心経266字をなぞります.いま,50枚くらいになりました.ただ,毎日,写すだけです.
今までなら,目標枚数を決めるとか,毎回,出来栄えを数値評価して,数値が高くなるように漢字の書き方を勉強して,工夫するなどといった「タイム・パフォーマンス」を大事にしてきたと思います.仕事をしていた時は,いかに短時間でTOEICのスコアを上げるかといったことしか考えていませんでした.
今回の写経のモチベーションに,「100枚かき書き上げよう!」とか,「少しでも字がうまくなるように頑張ろう!」などといった目的はありません.ただ,毎日,書くだけ.評価もしない.ただ,愚直に繰り返してみるという感じです.定年前の生活ならそういうモチベーションのあり方はなかったような気がします.
「写経の目的は?」と聞かれたら,「うーん,何となく」という感じでしょうか.また,毎日,写経することに執着するのも嫌なので,「今日は,必ず午前中に1枚写経する」という目標も立てません.やりたくなければ,やりません.ただ,書いてみるだけ.そんな生活をしてみたかったのです.なんか,ばかばかしいですが,すごく新鮮な感じがしています.
すると,今まで感じたことのない感覚が表出してきたような気がします.自分で自分の写経という作業を客観的に見れるようになってきて,自分が書いているのに,自分で書いたものでないように見えてきました.そして,毎回,般若心経の中に気付きが出てきます.「この字の8画目の止め方をどうすれば美しくなるのか?」とか「この払いはなぜきれいに見えないのだろうか?」と自問します.書いた字の評価というよりも,絵のような美しさが気になってきました.結局は,昔の自縛から離れられていないのかもしれませんが,少し,目標とか目的を意識しないで,愚直に繰り返すことを続けてみたいと思います.たかだか50枚でこうですから,100枚,200枚と重ねたらどんな感覚に会えるのか楽しみです.ただ,ちょっとだけ,「お手本を写す」のではく,自分で何も見ないで書けるようになれればよいと思っています.そう思うと,目的を持ってしまうので,いづれは,そうなるといいなぐらいの感じです.なんか,のんきな話で,しょうもないですね.
