チョコのかかったシュークリームのようなお菓子。フランス語で、エクレール・オ・ショコラ(éclair au chocolat)というそうだ。シュー生地からホイップクリームが飛び出して、そこにチョコがコーティングされているパンのようなお菓子のような食べ物。若い時から大好きなお菓子の一つ。ただ、60代後半、ホイップクリームが心臓に良くないとか、トランス脂肪酸が悪さをするとか、血栓がらみでニコニコしながら食べられない。そんなことから、買い物に行っても、レジの近くにあるエクレアを横目で見ながら、「今日はやめておこう」とぐっと我慢をしていた。しかし、昨日は違った。エクレアを見た瞬間、コーティングされたチョコレートの感触と白いクリームの甘さと香りで頭の中がいっぱいになり、すごくエクレアが食べたくなってきた。「爺さんの体に悪いぞ」とか「脳血栓」とか「心筋梗塞」とか頭に単語が浮かぶが、頭の中は、「エクレア」に書き替えられ、「エクレア」で一杯となり、ついに買ってしまった。そして、妻に怒られないように、そっと隠れて食べる。

「パキっ」と薄いチョコレートの割れる感触と淡いホイップクリームの香りを感じながら至福の一口目を食べる。息をつかず、3口食べ続ける。その直後、忘れていた感情がふーとわいてきた。「なんか胃が重くなる。」昔、エクレアを食べて後悔した思いを思い出した。そして、にわかに、「気持ち悪くなってきた」爺にエクレアは、重すぎるのかもしれない。もう、若くないなと後悔しきり。さて、このことから、しばらく、エクレアを食べたくないと思う。しかし、1年後にまた、頭の中がエクレアで一杯になるかもしれない。あー、なんかあさましい。
さて、これは、たかがエクレアの話だが、「貪瞋痴」の「業」というか、「執着」というか、我々に不幸をもたらす種として考えれば、まったく同じことである。「誰かに何か言われたことが腹立たしくて、寝れなくなる」とか「一言、意見を言わなければいけない」と躍起になったりする「あることに執着する」状態は、まさにエクレアを食べたくなった頭と同じである。「あることに執着」したりすると、そのことは、めぐりめぐって自分を苦しめることになる。誰かに文句を言うと、かならず、別の誰かから自分が文句を言われることになる。本当に不思議だ。今まで、こうした因果律を嫌とわかって、「もうぜったい我を出すまい」「執着しまい」と思ってきたはずである。でも、「我」がでて「執着」してしまう。
まさに、昔、気持ち悪いと思った、エクレアを見てまた、食べたくなるのは、上記の道理を理解していない「無明」のせいなのだと思った。貪瞋痴・むさぼり、怒り、道理が分からない。これは、重症だとエクレアの一件を通して感じた。とにかく、「我」をはらず、「執着」しない、さらっとした生き方をしなければならないと思った。実行は、難しいが、やらなければ、苦が自分に降りかかってくる。